22年3月 東北旅行
私は事あるごとに冬の北海道に行きたいということを言っているのだが、今年はコロナによって行く日が3月半ばまでずれこんだこともあり断念せざるを得なかった。そのため今回は北海道・東日本パスを利用した東北旅行になった。
<1日目>
ここ2週間ほど昼夜逆転までは行かないにも、朝寝て昼過ぎに起きるといった睡眠サイクルを繰り返していた私はこの日の4時半起きが一番きつかった。しかも前日に昼寝と称して2時間寝ている。寝れるわけがない。0時に寝床に入るも寝れずに2時間半が経過し、起きて作業をした結果眠くなり3時過ぎに就寝。僅か1時間の睡眠となり非常にきつい。
さて、4時半に起きて準備する。今回はまず神戸空港に向かう。いくら6時とはいえ3月9日という日では意外と明るい。JRで西に向かい三ノ宮でポートライナーへ乗り換え神戸空港に7:40に到着。朝食を食べる間もなく8:30のスカイマークで仙台空港へ。
寝ようと思っていたのだが眠れず9:50定刻で仙台空港着。写真もほどほどに仙台駅へ向かい
これを購入。18きっぷとほぼ同じ値段で1週間JR東と北に限るが普通と快速乗り放題という代物だ。
しかし、朝食をとっていない私は空腹であるためにすぐさま昼食をとった。仙台駅の3階部分の牛タン店にて昼食。
流石の美味である。
時間に余裕があったため先に荷物を預けることに。仙台駅の地下から出てる仙石線で海岸沿いへ。陸前原ノ町を出ると地上へ。中野栄からは未乗区間。高架化された塩釜市内を通過し左に東北本線が見えると右は海である。景色の変化を楽しむうちに松島海岸駅に到着。荷物を預けてすぐさま折り返し本塩釜へ戻る。鹽竈神社の観光時間は1時間である。
15分ほど歩くと参道なのだが...これである。
???????????
流石にしんどい。
しかしゆっくり休んでいる時間がある訳でもなくそそくさとお参りして来た道を戻る訳ではなく別ルートから駅に戻る。駅に戻ると発車8分前だった。
本塩釜から仙石線に乗車し再び松島海岸駅に到着すると次は15時発の観光船が待っている。乗船するは
こちら。50分の乗船である。2階のグリーン席に500円課金した。しかし結構混んでいた印象だった。
鹽竈神社までは晴れていたのだが松島観光船の時は一気に曇り、かつ非常に雲が厚く15時とは思えない暗さだった。予定通り15:50に戻ってくる。
待合室に居た。
次に乗るは松島発17時丁度。徒歩15分程度のためゆっくりしてから行った。この段階で同行者のキャリーバッグが破損した。直ることなく最終日まで後を引いた。
道中の仙石線の橋梁
工事により途中で切られた歩道橋
発車30分前に到着
上野というのは往時の名残なのだろうか
きれいなカーブの途中にある駅
四季島が経由するらしい。今後数十年縁がない列車である。
松島17:05発の小牛田行で出発する。乗車率は6割程度か。仙石線が石巻へ向けて海岸沿いを進むのに対し、東北本線は進路を北に向ける。すでに暗くなり始めている田園地帯を20分ほど駆け抜け小牛田へ。少しの乗り換えで一ノ関行きへ乗車。すでに真っ暗であかりもまばらだが突き進む。一ノ関でも乗り換え時間は短く盛岡行きに乗り換え。
宮城県内に市街地では欠片も見せなかった雪がここで初めて現れた。最初に気づいたのは六原駅だった。丁度一ノ関と盛岡の半分の地点である。さらに進むと盛岡駅に到着。20時過ぎであった。
なんか四季島がいた。
夕食は...
ぴょんぴょん舎のテイクアウトである。うまい。え?冷麺?
...ノーコメントで。
翌日も早いので早く寝ることにする。
1日目の旅程
仙台空港着9:50
仙台空港発10:07 1321M 仙台行
仙台着10:35
仙台発12:21 1231S 石巻行
松島海岸着13:04
松島海岸発13:12 1222S あおば通行
本塩釜着13:22
松島海岸着14:32
松島港発15:00 松島島巡り観光船 7便
松島港着15:50
松島発17:05 2549M 小牛田行
小牛田着17:25
小牛田発17:35 559M 一ノ関行
一ノ関着18:21
一ノ関発18:29 1549M 盛岡行
盛岡着20:07
<2日目>
今日も今日とて4時半起きである。
本当に真っ暗である。
1日たった4往復の赤渕-田沢湖間を普通で抜ける列車だ。この次は14時台までない。見えにくいが四季島がいる。
乗客僅か5名で盛岡を出発すると新幹線も走っていないこの時間帯の田沢湖線を約時速100kmで駆け抜ける。関西より幾分か東の岩手は夜明けも早い。5時半を過ぎるとかなり明るくなる。
5:40頃撮影 仙岩峠に挑む少し手前である。
赤渕で8分停車し仙岩トンネルを抜けると田沢湖である。ここからは濃霧が激しい。
少し先すら見えない状況であった。おそらく神代-生田間であるだろうがよくわからない。それから約30分で大曲に到着する。
まぁ何も見えないこと。大曲は15分ほどの滞在で秋田へ。湯沢始発の快速で大曲からは刈和野、和田、四ツ小屋にのみ停車し秋田へ向かう。通勤通学用の列車で座れなかったがまぁたかが45分だった。
7:55定刻で秋田に到着。15分の乗り換えで
リゾートしらかみに乗車。しらかみは4号に19年7月に乗って以来である。今回の乗車時間は2時間。奥羽本線の東能代までの1時間は朝早かったために寝てしまった。能代駅のバスケットゴールを横目に出発するといよいよ海岸線。
冬の日本海ではあるが波は穏やかである。
10:38に着いた。目指すは不老ふ死温泉。送迎バスが駅前まで来ている。
不老ふ死温泉は日本海に隣接(?)している露天風呂が有名である。内湯で体を流してから露天風呂へ向かうと風が強い。しかし、日本海は荒れていないため遠くの船まで見えた。露天風呂の温度は丁度良く時間が許せば1日中滞在できただろう。
しかし、2時間という滞在時間はあまりに短く中途半端な感じになってしまった。再訪の理由ができたこととしよう。
ウェスパ椿山発12:24の列車に合わせて送迎してもらい乗車。深浦、鯵ヶ沢での長時間停車を経て五所川原に14:28に到着。
ここからは津軽鉄道。行きは普通に乗車し帰りにストーブ列車に乗る算段を立てた。
閑散期であるためメロス列車とそれに引かれたストーブ列車のみとなった列車は津軽五所川原駅を発つ。夕暮れ時で車内が混雑する中雪が積もった田畑のど真ん中を突っ走る。金木で列車交換を行い津軽中里に着いたのは15:33。駅には津軽の森林鉄道に関する資料が多く載っていた。
ここが今回の旅の最北端となった。
交換作業をしていた。
さて、帰りこそストーブ列車である。
適宜乗務員が石炭を補充していた。
硬券というのがまた雰囲気として素晴らしい
広い雪原の奥に岩木山が見える
途中から普通車は高校生でいっぱいになった。五所川原駅は高校生でごった返していた。次の五所川原発は16:46。深浦始発でこれもまた高校生が大量に降りて大量に乗った。弘前までは立ちである。
右手に岩木山を見ながら進むとあっという間に弘前に到着。すぐの乗り換えで秋田へ。日が暮れてからの移動は今回の旅では常用する。
弘前発17:39の秋田行きは夕暮れ時の出発。乗車率は3割程度だった。そして、すぐさま日が暮れる。
碇ヶ関から矢立峠を越え米代川水系に入ると大館。鷹ノ巣、二ツ井を通り過ぎると東能代。ここから秋田まで1時間で朝通った区間。しかし、今度も真っ暗で八郎潟もなにも分からなかった。
20:09定刻で秋田に到着。
夕食は近場の居酒屋できりたんぽ鍋。
冷えた体に鍋のスープときりたんぽがよく染みた。〆の雑炊は失敗だった。なんで米と米なんだ。
2日目の旅程
盛岡発5:20 821M 大曲行
大曲着6:52
大曲発7:10 3427M 快速 秋田行
秋田着7:55
秋田発8:20 8621D 快速 リゾートしらかみ1号 青森行
ウェスパ椿山着10:38
五所川原着14:28
津軽中里着15:33
弘前着17:37
弘前発17:39 1672M 秋田行
秋田着20:09
<3日目>
本日の朝は微妙に早い。
さらに新幹線に3回乗車するとても贅沢な日である。
8時前に駅についてお土産を購入。
8:11のこまち14号で秋田を離脱。昨日快速で抜けた部分を新幹線で再び内陸部へ戻る。大曲で方向が
変わると間もなく角館に到着。僅か40分の乗車であった。
駅前でもこの積雪である。ここから武家屋敷方面に観光へ行く。
メインストリートの一つ
青柳家を観光。中央の庭園の周囲に建物がある屋敷である。しかし積雪のため庭園は真っ白で何があるかわからなかった。
春に来たら綺麗なのかと考えると再訪を考えざるを得ない。
冬とこのご時世ということもあり、観光できた武家屋敷は青柳家のみだった。しかし、青柳家では多くの資料が展示されており非常に興味深かった。
角館小学校跡の碑なのだが8割ほど埋まってしまっている。
ここも春は綺麗なのだろうか。
昼食は親子丼と稲庭うどんのセット。非常に美味であった。
時間なので角館を去る。再び駅まで15分程歩き新幹線に乗車。
今度は折り返して大曲まで。特徴的な終端部である。
大曲からは奥羽本線で南下。13時少し前の普通列車で新庄へ。大曲からは乗車率5~60%といったところか。田畑の残雪からの太陽光の照り返しが非常に眩しい。横手、湯沢と乗客を多く降ろす駅を通り過ぎ、秋田側最後の大きな街がある横堀で乗客は10名ほどに。秋田県側最後の駅である院内を過ぎると雄勝峠越えに差し掛かり峠をトンネルで越える。
トンネルを抜けると....景色はさして変わらない。雄物川に沿って登った峠を今度は真室川に沿って下る。そうするとあっという間に新庄に到着した。
今日はよく晴れていた。
ここからは少しながら新幹線。本日(3/11)が最後となった山形新幹線自由席で大石田まで。僅か16分の乗車である。
大石田着。この時点でだいぶ陽が傾いているがここから今日のメインディッシュである。
バスに揺られること約40分。
銀山温泉に到着した。この時点で時間は16時半であった。
疏水坑。ここから先の滝などは雪で封鎖されていた。
少し戻ったところ。
よく冷えていた今日、ぜんざいで体を温める。
17:40頃に陽が見えなくなると一気に暗くなる。僅か10分程度ですぐ暗くなる。
温泉に1秒たりとも浸かってないが銀山温泉を去る。
18時過ぎに大石田へ戻るバスは非常に混雑していた。19時前に大石田駅に到着。もちろんすでに真っ暗である。19:36発までの40分を待合室で待ち、やっときた列車に乗車。真っ暗の尾花沢盆地から村山盆地を駆け抜けて50分で山形駅へ。ホテルチェックインはもう21時になろうというところであった。
3日目の旅程
秋田発8:11 3014M こまち14号 東京行
角館着8:55
角館発12:18 3011M こまち11号 秋田行
大曲着12:29
大曲発12:51 2440M 新庄行
新庄着14:48
新庄発15:17 150M つばさ150号 東京行
大石田着15:33
大石田駅発15:55 はながさバス 705-10 銀山温泉行
銀山温泉着16:31
銀山温泉発18:21 はながさバス 705-13 大石田駅行
大石田駅着18:55
大石田発19:36 1450M 山形行
山形着20:27
<4日目>
今日は朝一で観光である。山形城跡である。
雪と時間で封鎖されている。
なんかかっこいいね。
さて、出発の時間。8:42発の普通列車で出発する。昨日暗闇の中通過した部分を戻る。残雪が眩しいのは変わらず新庄へ向かう。1時間ちょっとで新庄に到着すると20分の乗り換えでキハ110に乗車。混雑していた。
最上川沿いに日本海まで下る。約45分で余目へ。更に羽越本線で河口へ向かい11:24に酒田に到着した。
昼食は酒田ラーメン煮干醤油のあっさりとしたスープが美味である。
鳥海山が遠くに見える。
山居倉庫は裏の道が通れなかった。
本間家の中は見れるようになっていた。
戻ってきて酒田駅。この日は本当に晴天に恵まれた。
さて、酒田駅に戻ってきたのは14時半ごろ。本日のメインディッシュはまだ入線していなかった。そのため、お土産屋などで時間を潰す。
本日のメインディッシュがやってきた。きらきらうえつの後継として19年の秋に登場した列車である。本日は夕方の南行に乗車し夕陽を楽しもうと考えた。
酒田駅発車は15:00。途中鶴岡で30分、桑川で29分停車して新潟まで3時間半で走破する。
酒田を出発しても海はまだ見えない。見えるのは平野が終わる鶴岡の先である。
鶴岡の30分停車は車内と駅構内を探索し乗ってからしばらくして海が見え始める。
良い景色である。
桑川駅にて。
日本海と夕日のセットも悪くないと改めて思った。桑川駅の長時間停車で日本海と夕陽のセットが見れて心が洗われるような気分だった。
これを見ていたら29分なんてあっという間。もっと長く滞在したいという気持ちを押し殺して海里に乗り込む。
桑川を定刻で出発してからはあっという間。三面川を境に海から離れると村上。それからは越後平野の北の端を走る。
夕暮れ寸前。この後すぐ暗闇になった。
新発田からは白新線に入り未だ田植えには遠い田圃の中を飛ばし新潟に18:31に到着した。
11年ぶりの新潟駅だが何もかも変わっていた。
楽しかった列車に感謝。
夕飯は新潟名物のタレカツ丼にした。甘いタレとご飯の相性が良く大盛りにすればよかったと後悔した。
海里の乗車時に晴れてくれればと思っていたが今日は1日中晴れていた。なんなら今回の旅はほぼずっと天気が良かった。
4日目の旅程
山形発8:42 1427M 新庄行
新庄着9:52
新庄発10:15 155D 余目行
余目着11:01
余目発11:09 223D 酒田行
酒田着11:24
酒田発15:00 8852D 快速 海里 新潟行
新潟着18:31
<5日目>
今日も今日とて朝が早い。
6:44発で新潟を出発する。日曜日の朝、越後線を西へ向かう。非常に雲が低くどんよりしていたが問題ない。信濃川、関屋分水路を渡って西区へ。内野を過ぎると周囲が田圃に。約50分でまるで人名のような駅名である吉田駅に到着。
スパナ?ナラクーバラ?
国鉄感のある駅舎である。
吉田では30分の待ち合わせで弥彦へ。
駅舎は神社をモチーフにしたような。駅から徒歩15分程度の弥彦神社へ。
朝早いこともあり地域住民の人たちの散歩道になっていた。
曇天の極みである。
脇にもこのような神社が。
巨大な銀杏の木の近く。遠くに大鳥居が見える。
駅に戻っても時間に余裕はある。駅にある小さな売店でお菓子を購入した。その後は駅の周囲を散策して時間を潰した。
10:05発の東三条行で折り返す。40分揺られて東三条に到着。乗り換え時間は短く10分の乗り換えで特急しらゆき4号に乗車。柏崎までをショートカットする。快適な特急とは50分でおさらばし、柏崎からは再び鈍行旅。犀潟でほくほく線に乗り換え。北海道・東日本パスはほくほく線も乗車できる。
犀潟からはほくほく線へ。かつての特急街道は今は1時間に1本普通列車が走るのみで非常に寂しい。くびき、大池いこいの森とよく聞く駅名を通り過ぎてる。うらがわらから雪が見え始めるとほくほく大島からは山形以来の雪景色に。屈指の難工事となった鍋立山トンネルを抜け、まつだい駅へ。
まつだい駅は積雪がすごい。そして薬師峠トンネルを抜けて信濃川の流れる十日町盆地に入る。
12:59に十日町着。36分の乗車ながら景色がガラリと変わってしまった。
高規格高架路線のほくほく線と地方交通線である飯山線の対比はさながら新幹線と在来線のようであった。
駅前でもこの積雪である。
昼食はへぎ蕎麦。
海藻を使用しているらしく食べるとまた変わった食感が楽しめる。
そそくさと食べて十日町駅に戻る。十日町14:05発の列車は土日だけ越後湯沢まで運転する。赤倉トンネルに入り美佐島駅を通過。美佐島駅はいつか訪れたい駅の一つである。全長10kmの赤倉トンネルで魚沼丘陵を一気に抜け魚沼盆地へ。
魚沼盆地も3月半ばだがこの雪である。六日町からは上越線に乗り入れ越後湯沢に14:41に到着。越後湯沢では今回のお土産を大量に購入して家に送りつけた。
越後湯沢からは上越国境を越える。16:53発の水上行に乗車。乗車率はかなり高く立ち客も出る具合であった。越後中里からは本格的な登りへ。一度ループして土樽駅。今年で着工から100年を迎えた清水トンネルを越えて群馬県に入ってすぐの土合駅は地上。再びループ線を通り湯檜曽川の谷に戻り湯檜曽駅。利根川が合流して左岸に渡ると水上駅に到着。僅か40分ながら面白い旅となった。
E129系。水上はまだ雪が残っていた。
もう東京は目の前である。17:45発の高崎行に乗車。
ここまでは楽しかったがもうその区間は終わり。疲労困憊であったため寝てしまった。
高崎までは1時間。高崎駅で下車するとムッとした温い少し不快な空気に包まれる。それもそのはず本日(3/13)の前橋市の最高気温はまさかの18℃。日が暮れた19時でも16℃もあった。本日昼間の十日町市は10℃で夕方の湯沢町も8℃しかない。関東平野と越後の気候の違いを身をもって感じたところで夕食へ。
水沢うどん。流石に暑い(当社比)のでざるを。
もうこの旅行は終わりである。19:46発の普通で何度目か分からない高崎線を南下。グリーンは当然の使用だ。本庄、深谷、熊谷と市の中心部しか街がないところを通り過ぎ、鴻巣あたりから俄に住宅街が増え出す。大宮からは完全に市街という感じ。東京の着いたのは21:42。最終的に宿泊地に着いたのは23時少し前であった。
5日目の旅程
新潟発6:44 126M 吉田行
吉田着7:38
吉田発8:06 264M 弥彦行
弥彦着8:14
弥彦発10:05 8231M→231M 東三条行
東三条着10:46
柏崎着11:43
柏崎発11:47 1332M 直江津行
犀潟着12:22
犀潟発12:23 837M 六日町行
十日町着12:59
十日町発14:05 839M 越後湯沢行
越後湯沢着14:41
越後湯沢発16:53 1740M→8740M 水上行
水上着17:34
水上発17:45 748M 高崎行
高崎着18:48
高崎発19:46 3938M 普通 平塚行
東京着21:42
<6日目>
疲労が蓄積していたため10時に出発。暑いこともありコートを家に送りつける。その足で東中野へ。
とても美味であった。
昼食後は東中野から新宿→茅ヶ崎→小田原と乗り換えて箱根湯本へ。箱根登山鉄道で強羅へ。さらにケーブルカー、ロープウェイと乗り継ぎ大涌谷へ。
太平洋も望める早雲山駅。
ブラタモリでロケしてた場所。締めで使ってた記憶。
大涌谷の内部(?)13年前に来た時は硫黄でダメだったが今回は大丈夫だった。
名物黒たまごを食べようとしたが5個セットの販売で流石に遠慮した。
行こうとしたが土石流の影響で閉鎖されていた。
芦ノ湖と富士山を望む。太陽がなぁ...
富士山のみ。よく晴れていた。
大涌谷の1日の終わりは早い。バス停の横では16時くらいから蛍の光が流れ始める。慌ててお土産を購入。1本前がものすごい並んでいたこともあり発車15分前には並ぶ。が、すでに5人ほど並んでいた。
16:27発のバスは大涌谷を通る最終のバス。これ以降は車か下のバス停まで徒歩しかない。最終的な並び列は30人近かった。16:29に箱根園からやってきたバスが2分遅れて到着。ガラガラだった車内は一気に満員へ。
バスは大涌谷からは下るだけ。途中にヘアピンを挟みながらも早雲山駅、駅伝の中継で有名な小涌園からは駅伝のルートで山を下る。宮之下の富士屋ホテル、大平台のヘアピン、函嶺洞門をバイパスで抜けると箱根湯本である。この時点でバスは15分遅れ。予定していた小田原発17:35のこだまは諦めるしかなかった。渋滞は入生田駅近くまで続いた。結局小田原駅に着いたのは新幹線の出発時刻である17:35。20分遅れである。(そもそも土日の箱根のバスに定時運行を要求するのも無理があった)
気を取り直して小田原を発ったのが18:02のこだま。浜松まで1時間。真っ暗で何も見えない。三島、新富士、静岡、掛川と待避設備がない熱海以外の全駅で待避し浜松に着いたのが19:19。友人と7年ぶりに再会し晩飯へ。
沼津魚河岸寿司で寿司を食べる。桜エビと生しらすの軍艦が非常に美味であった。
しかし、私は京都まで帰らねばならない。近況報告なども早々に切り上げ店をでた。時間がある時に来いという友人に対しお前が京都に来いとしか返せず新幹線に飛び乗った。
20:31発のひかり659号が今回最後の長距離を移動する列車。車内はガラガラ。名古屋からは全駅に停車し京都に着いたのは21:49。1時間なら十分近い方だと感じた。
京都駅。
帰宅したのは23時過ぎ。濃厚な旅行であった。
<感想>
かなり高くついた印象。次は安く旅行したいな。
22年1月 旅行初め
旅行に行く時は大体朝が早い。18きっぷで東京行く時は大体京都を5:30に出る米原行から始まる。
今回は場所が場所なだけにいつもより遅い。
1月5日6:00現在私は京都駅に居る。(なんでこんな日にこんな時間に)
今回はいつもの年明けの小旅行である。
京都発6:05の急行で南へ。外は真っ暗でなにも見えないがどんどん進む。大久保から新田辺あたりで東の山がうっすら明るくなってきた。ちょうど1時間で大和八木に到着。階段を上がって高架ホームは1,2番線、三重方面。
風が吹き抜けて寒いホームで待つこと9分で三重方面の特急がやってくる。およそ6年ぶりのビスタカー乗車だった。しかし、車両を楽しむ間もなく睡魔はやってくる。八木を出て最初の停車駅の榛原に停車した記憶もない。
起きると伊勢中川のデルタ線の分岐。そのまま伊勢中川にて降車。布引山地からの風が冷たく痛い。こちらも9分の乗り換えで鳥羽からのビスタカーに乗車。四日市までは34分の乗車。
四日市に着いたのは8:48。11分の乗り換えで湯の山温泉へ向かう。
軽便鉄道として開業した近鉄湯の山線は1964年に改軌し65年に近鉄の路線となった。その四日市を出発すると西に方向を変え山へ向かう。30分弱で湯の山温泉に到着。すぐさまロープウェイの下まで行くバスに乗車。10分程度でロープウェイの下に着く。
このロープウェイは高低差780mを登る。
(反射すごい)
結構遠いなといった印象。途中の支柱である白い鉄塔は高さ61mで日本一だそう。なおこれを知ったのは執筆段階のため写真はない。
12分の乗車で山上へ。降りるとやはり環境どころか世界が違う。それもそのはず気温はまさかの
-6℃。
いくらなんでも寒すぎる。
本当に寒い。
ま、まぁここに来たのは他でもない樹氷を撮るため。
いかにも寒そうな写真。ピント合ってなさすぎて使える写真がこれしかない(血涙)
奥の方に琵琶湖とうっすら竹生島?が見える。
時間は少し早いが昼食はカレーうどん。
冷えた体に染みる一品であった。
さて、昼食後は下山する。
通気口から撮影すると伊勢湾までちゃんと見える。奥に前述の白い鉄塔が見える。これが61mかぁ...
降りてからバスまでは時間があったので諸々を購入。今度のバスは終点まで。
15分ほどでアクアイグニスに到着。
2012年に開業したこの施設はパティシエの辻口博啓などと共同で事業を起こし、彼らがプロデュースする飲食店がある。前身からの片岡温泉はもちろん、いちご農園などもあり1日中楽しめる施設でもある。
今回は温泉とカフェを利用。温泉は露天ならいつまでも入れそうだった。
カフェはゆっくりできた上にロールケーキは非常に美味であった。計2時間半ほど滞在した。様々な季節に来たいと思う施設であった。
湯の山温泉発15:00の近鉄四日市行で引き返す。四日市には15:25に着いて3分の乗り換えで名古屋へ向かう。40分ほど乗車すると名古屋に到着。9割以上寝ていた。近鉄から名鉄にすぐ乗り換えて神宮前まで。
1月5日ということもあって境内は人でごったがえしていた。そそくさとお参りを済ませ名古屋へ戻る。
名古屋に戻ると17時過ぎと少し早いが夕食の時間。どうしても手羽先が食べたかったのでエスカの風来坊へ。
甘辛のタレと胡椒がたまらない。正直無限に食べれてしまうが今回は時間の制約がキツいのでまたの機会。
帰りは再び近鉄。今回は3,000円で2日間近鉄乗り放題の切符。そのため遠回りでも安い近鉄である。
と、いうわけで。乗れる時には乗るひのとり。今回で3回目の乗車である。
19:00に出たこともあり外は真っ暗。もはや只の移動手段兼睡眠時間と化した難波までの2時間のひのとり。流石に勿体ないのでコーヒーを買って飲むが朝5時から活動していた体はすでに限界で、津の発車を見ることなく睡魔に襲われた。
起きたら三重どころか奈良も通過し終点間際の鶴橋。21:09定刻で大阪難波に到着。
この旅はここで終了である。
今回の旅程
京都発6:05 急行 橿原神宮前行
大和八木着7:05
大和八木発7:14 605列車 ビスタカー 宇治山田行
伊勢中川着8:06
湯の山温泉着9:26
近鉄湯の山温泉駅発9:32 三重交通 湯の山温泉・御在所ロープウェイ行
湯の山温泉・御在所ロープウェイ発12:21 三重交通 アクアイグニス行
アクアイグニス着12:33
近鉄名古屋着16:04
神宮前着16:16
神宮前発17:05 急行 名鉄一宮行
名鉄名古屋着17:13
大阪難波着21:09
2021年11月 四国一周旅行
<0,1日目>
さて、現在は2021年11月26日の23:15ですが三ノ宮駅に来ております。
まぁここにこの時間にいるとなれば選択肢は1つであって高松に船で渡るしかない。金曜日の夜ってこともあり結構混むのかなって思ったのですが、まぁ案の定ある程度混んでいた。
なんか毎回高くなってる気がするけど気のせい...?
(帰って調べたら前回は土日割増がなくてその前は値上げ前だったらしい。なるほどね。)
とまぁこれで5:15に高松東港に着くわけですがここからの流れは決まってて高松駅までバスに乗ってからうどんを食べにいく。バスは思ったより混んでて丁度満員ぐらいだった。6時ちょうどのことでんで瓦町に行ってから徒歩10分の
かけうどん(中盛り) ¥310
たまご天 ¥100
ここへ。前回は釜揚げバター(名前忘れた)を食べたので今回はベターにかけうどんで。
15人くらい並んでいたわけですがさすがの回転率で10分くらいで食べることができました。
あ〜〜〜朝の6時半に食べるうどんたまんね〜〜〜
さて、今日はこれからが大変なのです。
花園駅まで歩いてことでんで高松築港駅→高松駅と歩き7時過ぎに戻って来るわけです。
まず、高松駅発7:23のしまんと3号(写真左)に乗り今回は琴平まで。高松駅を出るとしばらくしてサンライズ瀬戸とすれ違い右手から本四備讃線と合流すると宇多津。丸亀、多度津と停車するとそこから単線になり、南に針路を変え四国八十八ヶ所の第七十五番の善通寺の近くを通り、琴平に8:04に到着した。
ここから登山(?)が始まるわけですが、まぁ運動の「う」の字もない私にとって本宮までの785段の階段は結構しんどいものがあったなと。
しかもまだ朝8時すぎということでどこも空いてませんね。オーマイガッ
登山(登段?)を始めたわけなんですが、まぁいくら運動してないとはいえまだ19歳なんで。序盤からいい感じに登ってたんですけど大門の時点で結構きつかった。大門は365段でまだ半分も行ってないんですよね。体力のない奴め。
それからもさくさくと登っていったわけですが実にほぼ休憩なしで30分くらい掛かったなと。しかし本宮からの景色は絶景でしたね。
讃岐平野を一望!この後行く丸亀城も見えます。
...
...
一望...?
さて、御守りも買って下るわけですが9時過ぎということで資生堂パーラーが開いてるんです。
1時間くらい休憩。
紅茶(ホット) ¥450
え?パフェ?疲れてて食欲なかった。 今日は間違いなく今までの人生で一番朝9時に疲れていた。
階段をどんどん下るわけだが膝がプルプルするもんで結構怖い。結局これが最終日まで文字通り足を引っ張る。
10時半くらいに琴平駅に戻ってくるともう待合室でそのまま寝ちゃいそうだった。
琴平駅で特急待ってたらまさかの
「四国まんなか千年ものがたり」が来ました。乗ってみたかったなぁ〜。
そんで、琴平発10:44の南風8号で丸亀まで引き返します。南風8号は結構混んでた印象。高知を9時過ぎに出るっていう時間の丁度よさもあるのかな。
丸亀には17分の乗車で11:01に到着。2時間で丸亀城と昼食を済ませて松山に向かう。
しかし、もう足が限界で丸亀城まで1km弱を20分かかるという始末。しかも、丸亀城は小さい山の上。坂はもうしんどかった。しかしまぁ丸亀城はこっちでいい景色でした。
天守閣も登ったけど階段全部怖かった。
問題は下りの坂道で膝が厳しいところであの坂なんでいつ転けるかわからんという。
なんとか坂を下り切ってうどん屋に向かうわけです。
昼飯の「石川うどん」は珍しくセルフではなくフルサービスのうどん屋。
天ぷらうどん ¥950
20分くらい並んだ。うどんは結構量もあり疲れた体に出汁が染みる。麺は細めでもコシがあり天ぷらも薄衣でサクサクで美味だった。実は天ぷらの一番右にある半月状の野菜が何かわからんかった。皮が紫っぽくて中は透明で甘かった。多分紫大根?
しかし、時間も時間なので味わうのもほどほどにサクッと食べて退店すると10人くらい並んでました。
それからは丸亀発13:17のしおかぜ11号に乗車し松山に向かう。右側の海が見える良い席を確保した。したのだが、あまりにも眠い。多度津を出発したのは覚えていたが、観音寺、川之江、伊予三島と通過した記憶がない。新居浜から先も四国で数少ない電車特急のしおかぜはフルスペックで予讃線を飛ばす。今治からは再び景色の良い区間。夕暮れも近く瀬戸内海や島が見える区間は絶景であった。
松山には15:17に到着。すぐさま市電に乗り換え大街道まで。さらに徒歩で松山城のロープウェイ・リフトまで歩きリフトに乗車。16時くらいに松山城の本丸広場に到着。天守の開館は17時までなのでさっさと見て回らなければいけない。既に17km歩いてる足を引きずって松山城天守を足早に探索。
いい景色でした。
さて、いかんせん時間がない。最後の写真を撮った段階でもう天守は閉まる間際。さっさと出なければいけない。階段を慎重に降り、3枚目の写真に見える広場に戻る。
前回は18年の年末に行ったがまさかの大掃除で入場出来ず。3年ぶりだが来訪できてよかった。
ロープウェイで東雲口まで戻ると、時間がありそうなので今回のホテルへ。しかし、荷物整理も束の間すぐさま出かけて夕食を食べに行く。
疲労困憊の中たどり着いたのは鯛めし屋でした。
鯛めしというのが初体験である私にとって新鮮な食べ物でした。卵と一緒に混ぜた出汁が卵、鯛との味を調整しうまくご飯に合うようになっていて美味だった。
食べ終わると19時過ぎ。大街道まで戻って市電に乗り道後温泉へ向かいます。
現在道後温泉の本館は耐震工事中で閉館しているため近くの椿の湯へ。入場制限をしているらしく整理券を渡され15分程度寒い中待つと入れた。湯船などは本館と大差なかった。設備は椿の湯の方が充実しているように見えた。1時間くらいで出ると時間は21時過ぎ。ホテルに戻る。
ホテルに戻ったのは21時半。しかも、まだ野球はやっていて延長に入っているではないか。そこから1人でヤクルトを応援しながらつまみを食べた。12回表2死2塁から川端のタイムリーの時は声を殺して喜んだ。12回裏2死1塁から宗を2ゴロに打ち取った時は布団に顔をつっこんで叫んだ。そして1人でこれを書きながら泣いた。
応援し始めたのは2012年でまだまだ応援歴は浅いけどヤクルトが日本一の瞬間をテレビでも見れたのは良かった。本当に感謝、感謝、感謝。
さて、中継を最後まで見ると時刻は23時半になろうというところ。次の日は6時起きなので早々と寝ることにした。
0,1日目の旅程
三宮発23:30 バス 神戸三宮FT行
神戸三宮FT着23:40
神戸三宮FT発1:00 ジャンボフェリー 高松東港行
高松東港着5:15
瓦町着6:04
花園発6:51 高松築港行
高松築港着6:59
高松発7:23 2003D 特急 しまんと3号 高知行
琴平着8:04
琴平発10:44 38D 特急 南風8号 岡山行
丸亀着11:01
丸亀発13:17 11M 特急 しおかぜ11号 松山行
松山着15:17
大街道着15:36
東雲口→長者ヶ平 リフト
長者ヶ平→東雲口 ロープウェイ
道後温泉着19:45
大街道着21:27
<2日目>
2日目は7時から活動開始。昨日の疲れが抜けきれない体に鞭を打って1日は始まった。
この日は朝からよく晴れて冷えていた。松山発8:10の宇和海3号に乗るために勝山町を7時半前に出る路面電車に乗り松山に着いた。松山駅は昔の国鉄の駅舎感が未だに残る駅。新潟駅、熊本駅などは建て替えられたのでもう数少なくなってしまったのかと思うと感慨深い。ただ、松山駅も現在高架化工事が進んでいるのは悲しいな。
さて、8:10発の宇和海3号に乗り込んだわけだが流石のディーゼル。音がたまらんね。松山を出て右手に坊ちゃんスタジアムを見ると川を渡り松山市から松前町に入る。伊予市を出ると分岐駅の向井原を通過し、長浜経由の海沿いではなく山中に入っていく。伊予大平を通過するとJR四国の最も長いトンネルである犬寄トンネルに入る。そして、犬寄トンネルを抜けると... ... ... 💤💤
...犬寄トンネルで寝たと思っていたのだが起きたら法華津トンネルの中だった。法華津トンネルを抜けると右手には非常に高い位置から海や山の斜面にある蜜柑の果樹園などを見ることができる。そしてそこから斜面を駆け下り宇和島に到着する。
宇和島駅のこの終着駅感はすごい。特急の旅は一旦ここで終わり。ここからは鈍行で高知県に向かう。
しまんトロッコ併結でした。ここから窪川まで2時間半の鈍行旅です。
9:33に宇和島を出ると北宇和島を過ぎ少し山中に分け入る。しばらくすると平地に出てここを進む。江川崎からは本格的な渓谷ゾーンに入り後ろのトロッコが開放される。開放されたドアからの風が冷たかった。トロッコ併結列車は景色が良い区間を低速で駆け抜ける。半家、十川、土佐昭和と駆け抜けて土佐大正に11:33に到着した。江川崎から土佐大正のわずか25.1kmを50分で駆け抜ける良い旅だった。寒かったけど。土佐大正からは高速運転(低速区間比)で窪川まで一気に下り12:06窪川着。
窪川駅には喫茶店が併設しておりそこで昼食を頂いた。写真は忘れました。反省。
四万十鶏のえきめし唐揚げ定食 ¥1,000
唐揚げがとてもカリッと上がっていて美味だった。ご飯の量も選べ駅近なこともあり混雑していた。
ここからは進路を西に向け宿毛へ向かう。
窪川12:49発のあしずり3号で中村へ。僅かだったが海が見える区間があった。30分ほどの乗車で中村に到着。ゆっくりする間もなく6分の乗り換えで宿毛行きに乗車。中村から宿毛は特筆すべきところもなく30分で宿毛に到着。
宿毛駅周辺は特段何かあるというわけでもなく30分近くの折り返し時間は駅前散策に充てた。折り返すと中村で再び6分の乗り換えであしずり12号に乗り込む。乗車率は70%程度でよく混んでいた。複数の駅で行き違いなどを行い、夕暮れが迫る土佐くろしお鉄道・土讃線をMax120km/hで駆け抜ける。高知市が近づくと伊野、朝倉、旭と細かく停車し中村から1時間50分かかり高知に17:00に到着した。
今日の宿泊地はここ、高知ではあるが今日はこれで終わりではない。
高知発17:34の土佐山田・奈半利行に乗車。高知を帰宅途中の高校生と共に発車した。後免で切り離してからは停車する度に乗客が降りて行き終点の奈半利では私含めて5人だった。
奈半利駅は高架駅で駅舎に建物が付随している。駅ホームからは闇しか見えず線路もその先でプツンと途切れていた。20年1月に訪れた甲浦駅と同じような感じもした。夕食は駅舎に付随してる建物内にあるイタリア料理屋にした。
四方竹のフリット ¥700? (忘れた)
この他にも食べたが割愛。地元の食材を多く使用したお店だった。ピザは所謂クリスピー生地と呼ばれているもので生地の縁はカリカリだった。できることならばまた来訪したい。
奈半利駅では1時間の時間があったが食べ終わると発車20分前だった。ホームで待っていると列車が到着したが、降りる客は誰1人いなかった。そして、折り返しの列車は20:06に奈半利を発つ。奈半利から乗っている客は私1人だけだった。行きも真っ暗だったこの区間、帰りももちろん真っ暗でなにも灯りがないところを後免までひた走る。少しずつの乗り降りを挟みながら21:18に後免に着いた。
1分の乗り換えで高知へ戻る。高知に着いたのは21:39。ホテルに着いたのは22時前。今日は一日中気動車に乗っていた長い1日だった。
2日目の旅程
JR松山駅前着7:37
宇和島着9:30
窪川着12:06
窪川発12:49 2073D 特急 あしずり3号 中村行
中村着13:24
中村発13:30 617D 宿毛行
宿毛着14:00
宿毛発14:34 618D 中村行
中村着15:04
中村発15:10 2082D 特急 あしずり12号 高知行
高知着17:00
高知発17:34 5844D 快速 奈半利行
奈半利着18:58
奈半利発20:06 5889D 後免行
後免着21:18
後免発21:19 4759D 須崎行
高知着21:39
<3日目>
本日の朝は遅い。7時に起きて8時半にホテルを出発する。徒歩ではりまや橋、高知城へ向かう。
はい。
高知城は11/19〜翌年1/10で『NAKED FLOWERS -高知城-』を開催していた。今回は縁がなかったが期間内に再訪したい。 高知城天守内は靴下で足が良く冷える中散策した。今回訪れた丸亀城、松山城と同じく小さな山の上にあり非常に景色が良かった。昨日暗い中訪れた安芸、奈半利方面やこの後行くことになる四国山地もよく見えるようだった。
高知城を足早に探索し離脱するとひろめ市場へ向かう。ここで昼食を摂った。
カツオのタタキ定食 カツオ増し ¥忘れた
カツオのタタキは美味であった。
サクッと食べで高知駅へ戻る。高知発12:19の南風14号で高知を離れる。
南風が入線する前にいたので撮影。今回は観光列車との遭遇率が高い印象がある。
特急に乗り込み高知を出発すると土佐山田までは平野を走るが土佐山田を過ぎると一気に山の中へ入ってゆきスイッチバック駅の新改を横目に見て、繁藤からは穴内川に沿って進み、鉄橋上にある土佐北川を通過。土佐穴内の次の大田口からは名前が吉野川に変わり、大歩危峡区間にはいる。この区間は高速化工事によりトンネルも増えており景色が見える区間も多くはない。そして、渓谷が綺麗なゾーンはあっという間に終わりを告げ三好市の中心地の阿波池田に到着する。
池田町地区は吉野川沿いにできた狭い平地に建物が建っている。阿波池田の次の佃を出ると左に90°カーブし吉野川を渡り再び左に90°カーブし猪ノ鼻峠越えに向けて標高をぐんぐんあげる。箸蔵駅、箸蔵山ロープウェイを過ぎると山の中に分け入る。スイッチバック駅の坪尻駅を左手に過ぎるとトンネルに入り峠を越える。トンネルを抜けるとカーブを繰り返し、讃岐平野まで一気に標高を下げ琴平駅に13:45に到着した。
27日以来2日ぶりの到着。しかし、今回は特に用事もないのでわずか滞在15分で折り返す。
やってきたのは14:01に琴平を出発する南風11号。再び峠越えのために標高を上げトンネルを抜けると今度は右手に坪尻駅、そして阿波池田の街並みが見える。
阿波池田まではすぐで24分の乗車。阿波池田からは再び吉野川を下ってゆくことになる。5分の乗り換えで14:30発の剣山8号で徳島へ。左手に吉野川をずっと見ながら下る。だんだん平地が広がっていくのは見ていて面白い。剣山8号は各市町村の主要駅に停車しながら東に進む。昼間という時間もあり市役所がある穴吹や鴨島での乗り降りもまばらであった。佐古で左から高徳線が合流すると15:44徳島着。
そして今日のメインディッシュである鳴門線に乗車する。15:52発の鳴門行に乗車。車内は高校生でいっぱいであった。池谷で高徳線が左に分岐してからが鳴門線区間。鳴門線内は高校生が乗り降りしながら終点へ向かう。
そして16:31に鳴門に着く。この時点でJR四国を全線完乗を達成した。
線路の先が切れていることもまた感慨深い。
しかし、余韻に浸っている暇もなく5分の折り返しで鳴門を発つ。今度は鳴門から乗車した高校生と共に徳島へ戻る。鳴門線は全線で一閉塞なので池谷まで戻って列車交換をする。多くの乗り降りを挟んで徳島に着いたのは17:09。降りると通勤・通学ラッシュの時間ということもあり、私が降りた鳴門線の折り返しで鳴門に行く列車も17:13に徳島を発車する穴吹行を待つ人も大勢いた。
夕食は完乗記念で晩酌といきたいところだが時間もないので徳島ラーメンの店へ。写真は撮り忘れました。
用事を済ませ徳島駅前18:00発の神戸空港行の高速バスに乗車。8人ほどを乗せてもう暗くなった徳島駅を出発。徳島大学前、松茂と停車し、1時間半ほど前に通った鳴門線をオーバーパスして高速に入る。高速鳴門で乗客1人を乗せると大鳴門橋を渡り、淡路島に入る。しかし時刻は19時前で人家もまばらな淡路島では何も見えず真っ暗の中突っ走る。右手に神戸の夜景が見えると明石海峡大橋を渡り高速舞子バス停に到着する。
ここで今回の旅は終了である。
3日目の旅程
高知発12:13 44D 特急 南風14号 岡山行
琴平着13:45
琴平発14:01 41D 特急 南風11号 高知行
阿波池田着14:25
阿波池田発14:30 4008D 特急 剣山8号 徳島行
徳島着15:44
徳島発15:52 968D 鳴門行
鳴門着16:31
鳴門発16:36 973D 徳島行
徳島着17:09
高速舞子着19:21
総括
今回は2泊3日で四国を一周した。金刀比羅宮、丸亀城、松山城、高知城を巡った。これも9,000円でJR四国、土佐くろしお鉄道の普通列車と特急の自由席に乗車できる「四国DC満喫きっぷ」のおかげである。感謝。反省点は初日に金刀比羅宮を持ってきた点か。結果的に785段の登山は最終日まで足を引っ張った。